2015年12月02日

が書かれたのは


紫式部が「物語の祖(おや)」と表現しているように、
小説の形式で書かれたものとしては、最古と言っても良さそうだ。
ただ、この話の作者は、誰なのかは不祥。
元々伝承的にあった「かぐや姫」の話を再構成して、
ただ、一人の人物が作り上香港服務式公寓げたようだ。

なかなか筆が立つ人物で、
物語の構成力、シャレをちりばめた文章など、ただ者でない力量を持っている。
時の権力に近しいところにあった人物と推測できるが、
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いを持っていた藤原氏に対しては批判的。
時の、藤原系の御曹司たちを
かぐや姫に求愛する五人の公達として登場させている。
決して、褒められた人物たちではない。
かぐや姫からの難題に対して、ニセモノを作らせたりと、
セコいやり方で結局は大失敗する。
そんな人物とし描かれている。
おそらく生きていた時代の人たちは、
容易にその人物を特定することが出来ただろうと思われる。

その当時の物語は、出版されたものではなく、
誰かが書いて、みんなでそれを回し読みをする形式だった。
たとえば、
紫式部が書いた『源氏物語』は、スキャンダラスな話が出てくる。
「あそこに書かれている人物は、あの人のことね!」
と推測して、それを読んだ女官たちの間で評判を得ることになる。
スキャンダルほど人をワクワクさせるものはなさそうだ。
この『竹取物語』の御曹司たちも、そのような読まれ方をしたようだ。

芥川龍之介の『侏儒の言葉』の中に
「彼らのもっとも知りたいのは、『愛』とは何かということではない。
キリストは私生児であるかどうかである」という言葉がある。
この言葉の意味を解釈すると、

人が知りたいと思うのは、「愛とは何か?」という問題ではなく、
『スキャンダル』。さすがに芥川は慧眼と迪士尼美語 好唔好言える。
  


Posted by 何をしたか思 at 15:36Comments(0)