2016年01月25日

ケロリン湯桶




黄色いプラスチック製の湯桶で「ケロリン」の赤い文字が目につく。
銭湯に行って、この湯桶を見ると、
「ああ、まだケロリンは、販売されているんだ?!」
と思う。先ごろ、湯桶のみ販売していた会社が倒産したと出ていたが、
「ケロリン」を製造しHKUE 好唔好ている内外薬品は健在で、
そのまま引き継ぎ湯桶も販売することになったという。

「ケロリン」は、いわゆる富山の置き薬屋が持ってくる鎮痛剤。
今は、薬局などでも売られているが、
昭和二、三十年頃には、置き薬として爆発的に売れた薬でもある。
オレンジ色のNeo skin lab 傳銷ふち取りに、
頭痛や歯痛の男女の絵が描かれていて、
昭和レトロや大正ロマンの香りのするパッケージだった。

今の時代から見れば、何ともダサイ感じがするが、
変わらずそのデザインで売られている。

戦後間もない頃に活躍した小説家・坂口安吾は、
「安吾新日本風土記」で、この「ケロリン」のことを書いている。
現地に足を運び、ルポルタージュのように書いたエッセイで、
富山の薬だけではなく、置き薬の発祥までしっかりと書かれていた。

その置き薬屋といえば、今もあるにはあるが、近くの業者が販売している。
昭和40年頃までは、富山からはるばる全国を一軒一軒回って薬を置き、
使った分だけ支払っていく方法で販売していた。

置き薬が様変わりしても「ケロリン」が今なお健在なのは、
誰も目をつけない湯桶など、地道な宣伝活動が功を奏しているという。

富山の置き薬屋は、家に子供がいるのを見ると、
決まって紙風船を置いて行ったものだった。

抜け目なく、子供に対する好感のアピールしていた。
ただ、その紙風船、
膨らませると「ケロリン」と、しっかりプリントされていた。  


Posted by 何をしたか思 at 10:31Comments(0)

2016年01月25日

落語のネタに




よく知られたネタだが、あらすじを簡単に紹介すると、
「ある男がサクランボを種ごと食べてしまった。
その種が芽を出し、男の頭から伸びて、大きな桜の木になる。
近所の人たちは大喜びで男の頭に上って花見などして大騒ぎし始める。
男にとってはいい迷惑。そこで、この男は桜の木を引っこ抜いた。
そのため頭には大穴が開き、今度は雨水がたまって池になった。
それを見るや、近所の人たちが、そこに舟を浮かべたり、魚釣りを始めだし、
釣り針などが眼に引っかかったりしたため、男は怒り、
ついに自分で自分の頭の穴に身を投げて死んでしまう」というオチ噺。
ちょっとブラックジョーク的な噺でもある。

このような訳ではないのだろうが、
最近、ミツバチが大量死しているようだ。
また、ストレスなのか、
単に巣を離れてしまう蜂群崩壊症候群(ほうぐんほうかいしょうこうぐん) という
現象もあらわれているという。
この現象、ある特定の殺虫剤が影響しているという話や
環境ホルモン、電磁波、遺伝子組み換え作物など、様々に言われている。
小さい敏感な生物が影響を受けているということかもしれない。

こういった複合的に汚染される環境問題を小説家の有吉佐和子氏が、
『複合汚染』という著書にまとめて発表したのは、
1975年のこと。
かなりの反響を得たが、考えてみれば、その頃は、ミツバチのこのような現象もなかったし、
遺伝子組み換え作物というものもなかった。

ついでにいえば、作物の種を植えると実が稔ることが当たり前だった。
最近の作物は、遺伝子操作が成されたのか、
種を買わなければ、実が稔らない時代になって来たようだ。

いつか、この『頭山』の落語を聞きながら、
サクランボの種を呑み込んでその芽が出て来たんだって?
「ああ、昔は、実の種から芽が出ていたんだ!」
と変なところで感動するような時が来てしまいそう?
  


Posted by 何をしたか思 at 10:30Comments(0)

2016年01月11日

よみ人知らず



高さが15センチほどで、紫色の小さな花をつけている。
万葉の頃には、ツキ草(鴨跖草) と呼ばれ、
香りをつけたり、簡単な染めに使われるところからその名が使われたようだ。
ただ、藍染めなどと迪士尼優惠違って簡単に色や香りがつくが、
染めが落ちてしまうのが早いという特徴があった。

ツユ草を詠んだ歌は、万葉集の中には九首 収められているが、
そのひとつ、『つき草に 衣は摺らむ朝露に ぬれて後には うつろひぬとも』
                       
というのがある。
よみ人知らずとなっているが、作者は、おそらく女性。
この歌の意味を簡単に解釈すると、
「ツユ草は、たやすく染めが落ちてしまうほど、儚(はかな)いものだと言うけれど、
衣を染めることにするの。
たとえ、色がすぐに褪(さ)めてしまうとしても、、、」となるが、
この歌には、実のところ「恋心」が隠されている。
そのメッセージを解読すると、
(あの人は、移り気な方だと人は言うけれど、あのひとと一夜を過ごそうと思うの。
そのあと、たとえあの人の気持ちが変わってしまうとしても、、)となる。

隠された意味を探ると、夏の日は、キケンがいっぱい、という感じがする歌。
とは言え、淡いおんな心を しっとりと比喩にからめた歌といえる。
詠った人は、万葉の時代、かなりの才女であったろう。

さっきの歌に対する返歌でないが、同じ万葉集に
『百(もも)に千(ち)に 人は言ふとも ツキ草の うつろふ心 我れ持ためやも』
というのが収められている。これを解釈すると、
(プレイボーイだとか、いろんな風に人は、私のことを言うけれど、
ツキ草のように移ろい易い私ではありません。あなたのことだけを一途に思っております)
となる。英語圏では"dayflower" という名がつけられているこの花。
どこまで信じていいのやら、、、
  


Posted by 何をしたか思 at 11:52Comments(0)